1 ガレキの中に震災前の人との交流の人と人の交流を復活させる「場」を提供する。

  〜復興食堂ではいまだに「元気だったか!?」「生きてらっか!?」が繰り返されています〜

 

 また震災前は一緒に楽しくやっていたのに家や店が流されたか否かで、被災者の中に微妙な壁や区別も生まれている。そんな人達を分け隔てなく集い直すための場でもあります。

 

2 外から支援に訪れる人と地元の方々が、一緒に汗を流し希望を共有する。

  〜復興食堂は被災地と支援家の人と人の交流、共感、連携の空間です〜

 

3 つどい、出会い、笑顔の場を目撃することで「もう一度やってみよう!」という勇気、やる気を地元に生み出す。

  〜被災し店舗が消失した飲食店主などに「もう一度飲食店舗を再生しよう。」という勇気を〜



復興食堂のはじまり


 東日本大震災がおこり、私が初めて沿岸に向かったのは翌日のことでした。宮古市や大船渡の知人の安否を確認するため、支援物資をかき集めて現地へ向かうと、自分の目を疑ってしまうような光景が広がっていました。私の知人たちの安否は確認できたものの、何か自分たちにできることはないか、という気持ちが湧き上がってきました。

 一度盛岡にもどり準備を進め、大船渡を拠点にして、宮古、山田町、釜石、大槌、陸前高田で炊き出しを行ったり支援物資を届けるといったことをしました。私と松本哲也氏はそれから半月ほど現地で復興の手伝いをしてきました。


 その後も現地と盛岡を行き来しながら被災された人たちと触れ合う中で、強く感じたことがあります。家、家族、友人、かけがえのない多くのものを津波で流されてしまったことはみんな同じで、誰もが思いっきり泣いたり思いっきり笑うことがなかなかできないということでした。


 そんな時、平穏な暮らしの中にいれば、気心の知れた仲間とどこかの居酒屋や喫茶店、レストランで感情にまかせて語りあうことができます。


 私と松本氏は、そんな様々な想いを語り、泣いたり笑ったり感情を表に出し合う場所を作ることはできないか、そんな気持ちから、ささやかながらみんなのふれ合いの場所として復興食堂を立ち上げました。


 いわて三陸の人々が想いを前向きに語りあうことができるように復興食堂をつくりあげていきたいと思っています。


 また、盛岡市内を見ると、自粛ムードや先の見えない不安の高まりで、経済も凍りついているのが現状です。経済が悪循環で止まっている状態では二次、三次災害が起こってしまう可能性もあります。


 ですから応援プロジェクトを通して、盛岡市内の景気の回復にもつながるような仕組みを作っていくことで、更なる沿岸の復興へもつながると考えています。

 岩手の復光のために、少しでも力になれるように、復興食堂が何かのきっかけになればと思います。


店長 下玉利元一